[アーティスト説明]
愛称はビギー・スモールズ(Biggie Smalls)、単にビギー(Biggie)、ビッグとも呼ばれる。フランク・ホワイト(Frank White)と名乗ることもあるが、これは映画『キング・オブ・ニューヨーク』の主人公の名前が由来である。MCネームの「B.I.G.」は「Business Instead of Games」の略で、「ビー・アイ・ジー」と読むのが正しいが、「ビッグ」とも呼ばれることがある。 Big Daddy Kane のDJ、Mister Cee が彼のデモテープを聴き、さらにヒップホップ雑誌『The Source』に紹介。同雑誌の新人紹介コーナー「Unsigned Hype」に登場した事を機に Sean Puffy Combs に見出される。Mary Jane Blige の『What's the 411?』からのシングル「Real Love」や、タイトルナンバー「What's the 411?」のリミックス・バージョン(『What's the 411? Remix』収録)、Craig Mackの「Flava In Ya Ear」のリミックスなどの客演を経て、B.I.G.名義のデビュー曲「Party And Bullshit」をサウンドトラック『Who's The Man』(1993年)に発表する。 Easy Mo Bee をはじめ、DJ Premier、Lord Finesse、Chucky Thompson たちのサポートを受け、1994年にデビューアルバム『Ready To Die』をリリースする。この作品はヒップホップアルバムとして屈指の名作として名高く、現在でも大きな評価を得ている。また当時西海岸が主流だった風潮に東海岸の興隆を見せつけた。アルバムがリリースされる少し前に、ビギーは 2Pac と交友を深める。1994年にはマディソン・スクエア・ガーデンで 2Pac と共演もした(前述アルバムのクレジットに 2Pac の名前を見つけることができる)。しかし、2Pac が同年11月に銃撃され、犯人としてビギーとディディを疑ったことにより、彼らの仲は一気に険悪になる。2Pac が所属する Death Row Records と、ビギーが所属する Bad Boy Records は1990年代の二大ヒップホップレーベルだった。2Pac が銃撃され死亡した際に、「敵対するビギーの指示では」との噂が流れた。ビギーはこれを否定した。 その後、今度はビギーがロサンゼルスでヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」パーティーの帰途に銃撃を受け、セカンドアルバムリリース前の1997年3月9日に死亡した。どちらの銃撃事件も未解決のままである。ビギーのマネージメント、プロデュースを行っていたディディは、すでに録音を済ませていた2枚組のセカンドアルバム『Life After Death』をリリースする。このアルバムは1000万枚を売り上げ、ビギーを伝説の存在にした。 一時は公式に捜査が休止されたが、2002年に公開されたドキュメンタリー映画『ビギー&トゥパック(Biggie & Tupac)』や、親族の陳情を受け、捜査が再開された。2005年には再び捜査の打ち切りが発表されたが、2011年1月になり3回目の捜査開始が発表された。